• Grey Facebook Icon
  • Grey Twitter Icon
  • Grey Google+ Icon
  • Grey YouTube Icon
  • Grey Pinterest Icon
  • Grey Instagram Icon

gospel-kfmc.com

 2001年発足。ディレクター AK!RA / 吉川朗を中心に楽譜を使わず、聴いて覚えるスタイルを確立する。

 年1回の自主公演開催を目標に月2回のペースでレッスンに取り組み、その合間にイベントやお祭り、結婚式などに出演し精力的に活動。
 キーボード担当はnatsu / 吉田奈津。選曲やアレンジなどもこなし、AK!RAと共にINVISIBLE GROOVEを支える。

© 2001-2019  gospel-kfmc.com

 

 

 

​ゴスペルってなに?

 

 

 

 

 

 

 

 

問題は供給だが、時代は 16 世紀、機械式農業はまだ存在せず、 それに代わる労働力が必要だった。日が昇り、日が落ちるまで、黙々と働く機械のような労働者。それが、奴隷だった。

 大量の奴 隷を安定供給するには、大規模な奴隷市場が必要だった。黒人奴隷は、アフリカの大地でハンティングされ、腕や胸に奴隷商人の 焼印をおされた。まるで、牛や馬、家畜のように。また、奴隷が転売されると、別の焼印もおされた。人が人の身体に、自分の「印」 を刻む。死ぬまで消えることのないよう、皮膚と肉を焼いて。これが、奴隷が商品である証拠である。奴隷制度の本質、人間の闇 の部分がここにある。「商標」を刻印された奴隷たちは、奴隷市場でセリに落とされ、買われていった。つまり、奴隷の売買を生業 とする連中や国家が現れたのである。

 

●ゴスペル (Gospel) の歴史は大西洋を渡る奴隷船から始まった

 

 15 世紀末から始まるアフリカの黒人奴隷制度。

1492 年、コロンブス のアメリカ大陸発見を起源とし、後に地球規模の奴隷市場と奴隷貿易を出 現させる。新大陸発見のニュースが伝わると、金銀財宝に目がくらんだ命 知らずどもが、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダから南北アメリ カにおしよせた。そして、あてにしていた黄金がすでに奪われたことを知ると今度は、タバコ、砂糖、綿花の栽培で一儲けしようとしたのである。

 やがて、 これらの産物は、ヨーロッパ世界に持ち込まれ、ヨーロッパ人たちの生活 を大いに豊か

にした。ところで、消費者はいいとして、誰が産するのか? 遠く離れた異郷の新大陸で。もちろん、消費に忙しいヨーロッパ人は自分の骨をおるつもりはなかった。こうして生まれたのが 、黒人奴隷制度であ る。タバコや砂糖は、一般大衆の日常品となり、膨大な需要を生んだ。 

 

 

●ゴスペル (Gospel) のルーツ アメリカ黒人教会文化が生んだ「魂の歌」 

 

 

 

奴隷船により、故郷から遠く離れたアメリカに強制的に連行されたアフリカ人たちは、一日の苦役を終えた夜遅くに仲間と密か に(奴隷主は集団形成を警戒していた)集まった。奴隷主たちの家から遠く離れた場所で自分たちだけの礼拝をもって、神に祈り、 歌い、踊った時間。彼らが集まった場所は Hush Harbor/ ハッシュ・ハーバー(見えない教会)と呼ばれ、虐げられた屈辱、家 族や故郷から離れ離れになった寂しさ、かすかにともる明日への希望を魂の叫びのごとく自分たちの歌にのせて賛美しました。こ れが「The Sprituals/ 黒人霊歌」の誕生です。 

 

ゴスペル (Gospel) の語源は、God Spell(神の言葉)または Good Spell(良い知らせ)が組み合わさったものだと言われ、日 本語では、福音(良い知らせ)と訳されます。 奴隷解放後、アフリカ人は自分たちの歴史、文化そして宗教を彼らの大陸において口承で伝え広めていきます。同様のスタイルで、 スピリチュアルズ(黒人霊歌)もアメリカの各地へどんどん広まっていきました。そんな中、大きな転換期を迎えます。1866 年に 創設された黒人学校 Fisk School が財政困難解消のために考案した「Fisk jubilee Singers」です。スクールの学生 9 名が公演 を各地で行い、スピリチュアルズのレパートリーを歌い、寄付を集めるというものでした。当初は正当な評価を得ることは非常に困 難でしたが、その後公演を重ねるうちに、Ohio 州の Oberlin 大学での公演では白人聴衆に高い評価を受け、その後ヨーロッパで の公演も果たし、彼らの功績

 

によりスピリチュアルズの素晴らしさはアメリカ全土、そしてヨーロッパにも広まったのです。スピリチュ アルズは彼らの公演をきっかけに、アレンジされたかたちでパフォーマンスされる機会が増え、第一次世界大戦以降、合唱 / 独唱 形式のひとつの音楽のかたちとしてアメリカ国内で好まれるものとなりました。 「聖と俗の音楽の交流」。音楽スタイルの交流もあれば、シンガーのスタンスの行き来もあります。「ゴスペルの父」と呼ばれるトーマス・A・ドーシー(1899-1993)。天才音楽児であり、牧師の息子であっ た彼は、ブルース・シンガーとしてデビュー。その後、大恐慌の傷跡も生々 しい 30 年代に、失業や貧困に苦しんでいる人々に語りかけ、彼らを励 ます曲を作り、それらを初めて「ゴスペル・ソング」と呼びました。彼 の書く曲はブルースのテイストに溢れ、それまでのスピリチュアルズとは 一線を画すものとなり、彼は全米に「ゴスペル」を広めるとともに、「ゴ スペル」の普及に多大な功績を残しました。ゴスペルはいつもその時代 の音楽スタイルを吸収し、教会の外と交流し多くの人に伝えられてきま した。奴隷船から始まったゴスペルの歴史を見れば、スタイルではなくメッセージだということが痛いほど伝わってきます。ゴスペルはもはや「教会の歌」ではなく、多くの人が親しめる神聖で前向きな歌として世界中に受け入れられ、広まっています。

 

参考文献:朝日百科 世界の歴史 89 朝日新聞社

ゴスペルのチカラ / 著者:塩谷達也 

 

 

 

●ゴスペル (Gospel) の広がり